エネルギー研究所ー新たなエネルギーとは

マリーキュリー⑱ マリーの年譜

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1867年:ポーランドに生まれる

1878年:母プロニスワヴァが結核で死去

1883年:最優秀成績で金メダルを獲得

1886年:ゾラフスキー家の住み込みの家庭教師になる

1891年:パリに留学

1895年:ピエール・キュリーと結婚

1897年:長女イレーヌの誕生

1902年:ラジウムの取り出しに成功

1903年:理学博士になる。ノーベル物理学賞受賞

1904年:次女エーヴの誕生

1906年:ピエールが馬車にひかれ死亡

1910年:「放射能論」出版

1911年:2度目のノーベル賞

1914年:ラジウム研究所が完成。X線自動車で野戦病院を巡回

1916年:放射線技術者のトレーニングコースを開始

1921年:アメリカ訪問

1925年:イレーヌがソルボンヌ大学の理学博士になる

1929年:2度目のアメリカ訪問

1932年:ポーランドのワルシャワにラジウム研究所ができる

1934年:マリー66歳で死去

1935年:イレーヌと夫のジュリオが人工的に放射性物質をつくる

方法を発見。ノーベル化学賞を受賞

 

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受賞歴

1899年、1900年、1902年:ゲーグネル賞(鋼鉄の磁性研究に対して) 1903年:ノーベル物理学賞(ピエール・キュリーおよびアンリ・ベクレルと同時受賞)
1904年:オリシス賞(パリ新聞組合より)
1907年:アクトニアン賞(イギリス王立科学研究所)
1911年:ノーベル化学賞
1921年:エレン・リシャール研究賞
1924年:1923年度アルジャントゥイユ侯爵大賞
1931年:キャメロン賞(エディンバラ大学)

受賞メダル

1903年:ベルトロー賞メダル(ピエールと)、パリ市名誉賞メダル(ピエールと)、デービーメダル(ピエールと。イギリス王立協会)
1904年:マテウチ・メダル(ピエールと。イタリア科学協会)
1908年:クールマン賞大金メダル(リール工業協会)
1909年:エリオット・クレッソンメダル(フランクリン協会)
1910年:アルバート賞メダル(王立技術協会、ロンドン)
1919年:スペイン・アルフォンソ12世文官勲章大十字勲章
1921年:ベンジャミン・フランクリン賞メダル(アメリカ哲学協会、フィラデルフィア)、ジョン・スコット賞メダル(アメリカ哲学協会)、国立社会科学学会賞金メダル(ニューヨーク)、ウィリアム・ギブス賞メダル(アメリカ化学協会、シカゴ)
1922年:北アメリカ放射線学協会金メダル
1924年:ルーマニア政府第一級功労賞メダル
1929年:ニューヨーク婦人クラブ連合会金メダル
1931年:アメリカ放射線学会メダル

 

 

称号

存命中だけでも、各国の科学アカデミーなどから受けた称号は100を超える

1904年:モスクワ帝国文化人類学民俗学協会名誉会員。イギリス王立科学研究所名誉会員。ロンドン化学協会在外会員。バタヴィア哲学協会通信会員。メキシコ物理学協会名誉会員。メキシコ科学アカデミー名誉会員。ワルシャワ通算奨励協会名誉会員。
1906年:アルゼンチン科学協会通信会員。
1907年:オランダ科学協会在外会員。エディンバラ大学名誉法学博士。
1908年:サンクトペテルブルク帝国科学アカデミー通信会員。ブラウンシュヴァイク自然科学協会名誉会員。
1909年:ジュネーヴ大学名誉医学博士。ボローニャ科学アカデミー通信会員。チェコ科学文学美術アカデミー在外客員会員。フィラデルフィア薬学学会名誉会員。クラクフ科学アカデミー科学会員。
1910年:チリ科学協会通信会員。アメリカ哲学協会会員。スウェーデン王立科学アカデミー在外会員。アメリカ科学協会会員。ロンドン物理学協会名誉会員。
1911年:(フランス科学アカデミー会員選挙で落選)。ポルトガル科学アカデミー在外通信会員。マンチェスター大学名誉理学博士。
1912年:ベルギー化学協会会員。サンクトペテルブルク帝国実験医学協会客員会員。ワルシャワ科学協会普通会員。リヴォフ大学哲学名誉会員。ワルシャワ写真協会会員。リヴォフ理工科学校名誉博士。ヴァルナ科学協会名誉会員。
1913年:アムステルダム王立科学アカデミー特別会員(数理物理科)。バーミンガム大学名誉博士。エディンバラ科学技術協会名誉会員。
1914年:モスクワ大学物理医学協会名誉会員。ケンブリッジ哲学協会名誉会員。モスクワ科学協会名誉会員。ロンドン衛生学会名誉会員。フィラデルフィア自然科学アカデミー通信会員。
1918年:スペイン王立医学電気放射線学協会名誉会員。
1919年:スペイン王立医学電気放射線学協会名誉会長。マドリッド・ラジウム研究所名誉所長。ワルシャワ大学名誉教授。ポーランド化学協会会長。
1920年:デンマーク王立科学文学アカデミー普通会員。
1921年:エール大学名誉理学博士。シカゴ大学名誉理学博士。ノースウェスタン大学名誉理学博士。スミス単科大学名誉理学博士。ウェルズレイ単科大学名 誉理学博士。ペンシルベニア女子医科大学名誉博士。コロンビア大学名誉理学博士。ピッツバーグ大学名誉法学博士。ペンシルベニア大学名誉法学博士。バッ ファロー自然科学協会名誉会員。ニューヨーク鉱物学クラブ名誉会員。北アメリカ放射線学協会名誉会員。ニューイングランド化学教員協会名誉会員。アメリカ 自然史博物館名誉会員。ニュージャージー化学協会名誉会員。工業化学協会名誉会員。クリスティアニア・アカデミー会員。ノックス技芸科学アカデミー名誉終 身会員。アメリカ・ラジウム協会名誉会員。ノルウェー医療ラジウム研究所名誉会員。ニューヨーク・アリアンス・フランセーズ名誉会員。
1922年:パリ医学アカデミー自由客員会員(フランス初)。ベルギー・ロシア学術団体名誉会員。
1923年:ルーマニア医療鉱水学気候学協会名誉会員。エディンバラ大学名誉法学博士。チェコスロヴァキア数学者物理学者連盟名誉会員。
1924年:ワルシャワ市名誉市民。ニューヨーク市民ホールの座席に名前が記載される。ワルシャワ・ポーランド化学協会名誉会員。クラクフ大学名誉医学博士・クラクフ大学名誉哲学博士。リガ名誉市民。アテネ精神科学協会名誉会員。
1925年:ルブリン医学協会名誉会員。
1926年:ローマ≪ポンティフィチア・ティベリアナ≫普通会員。サン・パウロ化学協会名誉会員。ブラジル科学アカデミー通信会員。ブラジル婦権振興連盟 名誉連盟員。ブラジル・サン・パウロ薬学化学協会名誉会員。ブラジル薬学師協会名誉会員。ワルシャワ理工科学校化学科名誉博士。
1927年:モスクワ科学アカデミー名誉会員。ボヘミア文学科学協会在外会員。ソヴィエト連邦科学アカデミー名誉会員。北アメリカ州連合医学研究科協会名誉会員。ニュージーランド学士院名誉会員。 1929年:ポズナニ科学協会名誉会員。グラスゴー大学名誉法学博士。グラスゴー名誉市民。セント・ローレンス大学名誉理学博士。ニューヨーク医学アカデミー名誉会員。在アメリカ・ポーランド法人医学歯科学協会名誉会員。
1930年:フランス発明学者協会名誉会員。フランス発明学者協会名誉会長。
1931年:世界平和連盟名誉会員。アメリカ放射線学学会名誉会員。物理学自然科学アカデミー在外通信会員。
1932年:帝国ハレ・ドイツ自然科学アカデミー会員。ワルシャワ医学協会名誉会員。チェコスロヴァキア化学協会名誉会員。
1933年:イギリス放射線学レントゲン協会名誉会員。

 

栄誉

マリ・キュリーは1902年に夫とともに、1910年には単独でフランスからレジオンドヌール勲章を贈られたが、どちらも辞退した。

1935年、ワルシャワに設立されたラジウム研究所の前に彼女の銅像が建立された。序幕はイグナツィ・モシチスキの夫人が行った。この像は1944年のワルシャワ蜂起の際、銃撃を受けて損傷した。戦後修復を受けたが、銃創をあえて残す決定が下された。




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