エネルギー研究所ー新たなエネルギーとは

マリーキュリー⑰ 永遠の眠り

マリーキュリー⑰ 永遠の眠り

 

suponsarink
スポンサードリンク

 

愛想の無い人

1922年にはユネスコの前身に当る国際

知的協力委員会 (International Comm

ittee on Intellectual Cooperation,

ICIC) メンバー12人のひとりに加わっ

ていますが、相変わらず着飾ったりし

なかったため、新渡戸稲造などは、彼女

の印象を

 

「見栄えもしない愛想の

 

無い人物」

 

と自著に記しています。

 

再びアメリカ

1929年、マリーは再びアメリカへいき

研究費のための寄付を募りました。

このときは、フーバー大統領のゲストと

して、ホワイトハウスに滞在し、お祝いの

式典に参加しました。

 

マリーの放射線研究所

放射能研究所は性別・国籍を問わない多様

なスタッフを抱え、マリーは彼らの指導に

多くの時間を割くことになります。

毎朝のように、彼女の周りには研究や実験

の指針や進捗を相談・報告し、論文の校正

などを願う研究員らが集りました。

マリーはそれらに対して適切な指示や指導

をあたえ、研究の成果などが上がった研究

員などには祝いのお茶会を開くなどして励

まし、その実力を伸ばしました。

アルファ粒子のエネルギーが一定ではない

事を示したサロモン・ローゼンブルム、

真空中のX線観察を行ったフェルナン・オル

ウェック、フランシウム(原子番号87の元素。

元素記号は Fr)を発見したマルグリット・

ペレーなど優れた物理学者・化学者が研究所か

ら輩出しています。

 

それらの中でももっとも際立ったのは、マリー

の娘イレーヌとその夫フレデリック・ジョリ

オ=キュリーの人工放射能の研究でしょう。

1919年から1934年の間、研究所から発表された

論文は483件にもなりました。フレデリックと

イレーヌ夫妻は1935年にノーベル化学賞を受賞

しています。

 

放射線被害

マリーは外交の仕事をしながらも、自分の研究

を続けていました。

しかし、健康状態は明らかに悪くなる一方です。

長い間、ラジウムと過ごし、戦争中はエックス線

をあつかい、マリーは生涯のほとんどを放射線を

浴び続けていたのです。

そして、放射能が人体へあたえる悪影響も次第に

明らかとなってきました。

日本の山田延男は1923年から2年半、ラジウム研究

所でイレーヌの助手としてア ルファ線強度の研究

を行い、マリーの支援も受けながら5つの論文を発

表しています。

しかし原因不明の体調不良を起こして帰国し、翌年

亡くなっています。

マ リーは訃報を受けるとすぐに弔意を表す手紙を送

っています。

1925年1月には別の元研究員が再生不良性貧血で死亡。

さらにマリーの個人助手も白血病で亡 くなりました。

しかし放射能とこれらの病気との因果関係はまだ明ら

かにされてなく、したがって対処法など誰も考えつき

ませんでした。

 

マリーの死

マリーともに実験をしていた研究者や、世界中の

ラジウム工場で働く人たちが次々と血液の病気や

癌にかかり死んでいきました。

そうして、放射線はマリーの血液も破壊し、精神

不安定にして、骨に痛みもありました。

マリーの目は放射線を見続けたため白内障をひき

おこし、手術後も回復しませんでした。

1932年、マリーは転倒で骨折した右手の傷はなか

なか癒えず、また、頭痛や耳鳴りなどが続き、体

調不調が続きました。

 

春になるとマリーはポーランドを訪 問しました

が、これが最後の里帰りとなりました。

1934年5月、マリーはインフルエンザをきっかけに

検査を受 けた結果、結核の疑いがあるという診断

が下されましたのでフランスのアルプスの療養所に

入ることになりました。

7月4日、看病に当たっていた娘のエーヴの見守る中

マリーは悪性貧血によって、66歳の幕を閉じたのです。

彼女の生前の希望通り葬儀は家族だけでひっそりと

おこなわれました。

 

1934年7月6日、人類に新しい未来を開いた偉大な

科学者マリー・キュリーは愛する夫ピエールの隣に

葬られ永遠の眠りにつきました。

 

X線が原因か

60年後の1995年、フランス政府はキューリ夫妻の業

績を称え、二人の墓はパリのパンテオンに移され、

フランスに貢献したの偉人の一人に加えられました。

マリーは、初めてパンテオンに祀られる女性となり

ましたが、栄誉など関心のなかったマリーが生きて

いたら辞退したかも知れません。パンテオンに祀ら

れた際、マリーの棺内の放射能が測定されましたが、

360Bq/ccという測定量は少し高めでしたが、許容濃

度の5%程であり、ラジウムの半減期から考えて 放射

線被曝説には疑問がもたれ、ラジウム被曝ではなく、

戦争中での活動中に浴びたX線被曝が病気を起こした

のでないか、という説が提唱されています。




スポンサーリンク





関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。