エネルギー研究所ー新たなエネルギーとは

マリー・キュリー② ピエールとの出会い

マリー・キュリー② ピエールとの出会い

suponsarink
スポンサードリンク

 

大学

フランスの大学に通うマリーは、姉夫婦

の家で一緒に暮らしていました。

ポーランド出身のマリーはフランス語を

しっかりマスターしなければなりません。

大学の授業は、もちろんすべてフランス

語です。

今までのマリーは自分のフランス語に自信

を持っていましたが、実際の大学の授業で

フランス語を理解するのは、並大抵なこと

ではなかったはずです。

それでもマリーは一生懸命勉強にはげみま

した。

しかし、マリーには悩みがありました。

姉のブローニャの家は、大学から1時間以上

もかかる距離で、通学が大変でした。

そのうえ、ブローニャ夫婦はともに医者で

毎日たくさんの人が訪れ、マリーは勉強に

集中できませんでした。

もっと効率よく勉強したかったマリーは

決断します。一人暮らしをすることにした

のです。

 

 

一人暮らし

マリーは大学に近くに部屋を借りました。

寒くて何もない部屋、

食べ物だって生きていくための最低限な

ものしか食べることができません。

冬は、あまりに寒くて、コートを着込んで

勉強をしていました。

それでもマリーにとって苦ではありません

でした。

むしろ幸せでした。

勉学に対する燃えるような情熱を邪魔で

きるものなんて、何一つないのだから。

マリーは生活の厳しさにひたすら耐えなが

ら、がむしゃらに勉強していました。

そんなマリーの人生に対する姿勢がこの

時期に知人あてに書いた手紙に表れてい

ます。

「生きるって楽なことでは

ないわ。だけど、それが

なんだっていうの・・・?

人間には忍耐力がなくっち

ゃいけないし、

自分自身に自信を持つべきよ。

人間には何か才能があるもの

だわ。

苦労すればかならず

報われるものよ」

 

スポンサードリンク

学位の取得

ひたすら勉強に励んだマリーは、

祖国ポーランドから奨学金を受けること

ができました。

大学を卒業するまでは、学費の心配をし

ないで済みました。

優秀なマリーは物理でトップの成績を

おさめ、学位を取得しました。

さらに、翌年には数学で2番の成績で、

彼女はポーランド人としてフランス最高の

名門パリ大学から、学位を二つも得たこと

になります。

マリーはまた、フランス語を完璧に使いこ

なせるようにもなっていました。

マリーは、卒業すると、ポーランドに帰り、

祖国の独立のために力を尽くしたいと夢見

ていたのだった。

 

 

ピエールとの出会い

しかしこの年、1894年に彼女の運命が変わ

るのです。

ピエール・キュリーと出会います。

マリーより8歳年上の物理学者です。

リップマン研究所でマリーをピエール・キ

ュリーに引き逢わせたのは、当時フライブ

ルグに住んでいたジョセフ・コワルスキー

というポーランド出身の物理学者だった。

彼は同郷の若い女学生にフランスの物理学

者を紹介し支えになって貰おうとしたのだ

った。

ピエールがマリーに宛てた4通の手紙が残

っている。

「あなたの祖国愛の夢、

私たちふたりの人道的な夢、

そして私たちの科学への夢。

そうした夢に催眠術をかけら

れたように、お互い傍近くに

居ながら人生を生きるのは

美しいことではありませんか。」

「これらの夢のうち、最後の

夢だけが適正だと僕は信じます。

社会状態を変えることは僕たち

には出来ないし、人道的な夢と

いっても良いことよりも悪いこ

とをしてしまわないともかぎら

ないからね。」

「ただ科学だけが仕事場がここ

にあって確実なものだし、僕た

ちが何かをなしたと主張するこ

とができるし、どんな小さな発

見でも、獲得されたものとして

残るんだ。」

(Anna Hurwic 著 Pierre Curie

による引用)

マリー・キュリー③ ピエール・キュリー




スポンサーリンク





関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。